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失意泰然、得意冷然

分報を導入して3年経ったので振り返る

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この記事はコネヒト Advent Calendar 2018の6日目の記事です!

qiita.com

はじめに

遡ること2015年11月、Twitterやはてぶで「分報」という新しい取り組みを紹介した以下の記事が話題になりました。

Slackで簡単に「日報」ならぬ「分報」をチームで実現する3ステップ〜Problemが10分で解決するチャットを作ろう

そのころ私はちょうど転職時期で、2015年12月から新天地であるコネヒト社で働くことが決まっていました。 慣れない職場環境やプロダクトのキャッチアップが必要なことが容易に想像できたので、CTOに話をして分報をさっそく試してみることにしました。

気づけばあれから3年が経ち、分報もだいぶ成熟(?)してきたので、一度振り返りをしてその内容を共有したいと思います。 ただし、個人の振り返りとなるので認識がズレていて実際の状況とは異なる可能性があることはご容赦下さい...!

指標

まずはじめに導入されている環境を紹介します。

  • 会社
    • C向けの事業会社
    • 規模は従業員50〜100名程度
    • もちろん私服勤務
    • 1つの事業(ブランド)を複数のチームで作る
    • どちらかというとウエットな和気あいあいとした仕事のスタイルが基本
  • リモートワーク
    • 基本的には非推奨(事情を説明できればリモート可能なので不満に思ったことはありません!)。
  • 分報利用者の属性
    • 2015年頃
      • エンジニアとディレクターのみ
    • 2018年頃
      • ほぼ全員(エンジニア、ディレクター、営業、CS、バックオフィスなどなど...) ※入社時にチャンネルが作られるため
  • 分報の利用状況

私の「分報」への立場

詳しく振り返り内容を見ていく前に、私の立場を明らかにしておこうと思います。

導入から3年経って、いまの私は分報については「基本的にあっても良い」という立場です。「積極的に全員使うべき!」とも思わないですし、「分報は禁止」とも思いません。 ただ、後述する良かったことと悪かったことを天秤にかけて、もし悪かったことの方が多くなるのであればやめるべきかな、と思っています。

他方でリモートワークが盛んな環境の場合は、コミュニケーション手段として有効だと思うので積極的に利用するのがいいかなと思います。

振り返り

さて、前提条件が整理できたので、さっそく振り返りです。 最初にKPT形式のKeep(良かったこと)とProblem(悪かったこと・うまくいかなかったこと)でざっと概観し、そのあとに個別にトピックを取り上げます。

KeepとProblem

  • Keep(良かったこと)
    • 個人的な作業メモを残すことができる(単純にあとで探したりできて便利)
    • Slack連携ツールを他人を気にせずに試すことができる(自分のカレンダー予定を流したりtodo管理をslack上でやったり)
    • 困っていることをつぶやくだけで解決することがある(特に入社後1~2ヶ月ぐらいは大小様々なことに悩むので効果的)
    • 日報と比べ、リアルタイムにフィードバックを貰える
    • 誰がどんな業務をしているのかが分かる
    • 分報チャンネルが「自分専用の部屋」となることでチャットベースのコミュニケーションに慣れたり、心理的に発言のハードルが下がる
    • それまでDMなどで行われる可能性があったやりとりをpublic channelで行うことができる(情報のオープン化)
    • 技術的知見を知ることができる
    • 趣味や興味関心ネタが分かるので「人となり」がわかる(コミュニケーションの促進)
  • Problem(悪かったこと・うまくいかなかったこと)
    • 人が増えるとチャンネルの量がめちゃくちゃ増える
    • 人が増えると分報を見る時間がめちゃくちゃ増える(時間泥棒)
    • 作業メモを残すなど分報のためにSlackを使う回数が増えると、ついつい別のことをしてしまって集中が切れがちになる
    • 趣味や興味関心ネタが増えてくると雑談が増え、「仕事の効率が落ちてるかも...」と思う場面が出てくる
    • 分報を続けていくと次第に進捗共有ややっていることの共有が減り、社内Twitterのような使われ方が増えてきてKeepの効果が薄れる
    • DMの代わりとして分報を使っている場合、分報が非アクティブな人やアーカイブしてしまった人への連絡方法で困る
      • (補足) これは「分報が非アクティブな人やアーカイブしてしまった人」が良くないのではなく、「『分報は業務上必須ではないよ。使いたい人だけつかえばいいよ』という前提の周知をしていなかった」のが良くなかった、という認識
    • 悪い意味で他人を気にしなくて良いので、言葉の表現が乱暴になったり配慮がかけたものになりがち(特にレガシーなものなどへの負の感情...)


以上が分報を導入して3年経った現在のKとPです。

1点、SNS上で分報が話題になってしばらくした後に「分報は喫煙所と同じ」「重要な意思決定がクローズドな環境で行われる」という主張がよくありましたが、個人的にはその点を問題に感じたシーンはほぼありませんでした。

重要な意思決定がクローズドに行われる職場というのは、分報や喫煙所がなくても会議室やどこかで行われていると思うので、分報とは別の問題なのかな、と思っています。 また、分報であれば検索すればパブリックに誰でも見れるので後から認知可能、という点で喫煙所や勝手な口頭での意思決定よりはマシかなと思います。

時間泥棒と向き合う

基本的にアクティブな分報は見ているだけで面白いものです。Twitterがこれだけ普及していることを考えれば、「社内版Twitter」とも言われる分報が面白くないはずがありません(ですよね?)。

入社直後の人の分報は、比較的まじめな話題や業務上の困った点などが頻繁にあがるため、分報がもたらす価値を十分に享受できると思います。しかし、入社して数年経ち業務にも慣れ、困ったことがあまり起きなくなったり今やっていることを書かなくなったりするとどんどん社内版Twitterの色合いが強くなります。 そういった分報は人となりが色濃く表れるので、その後のコミュニケーションが円滑になる例も多くみましたが、話していて気づいたら時間がなくなっていた!なんていうケースが起こりがちになるのも事実です。

しっかりと分報(もっと大きく言うとSlack)との付き合い方を考え、時間が不必要に奪われないようにする工夫が必要なのかなと思います(分報をやめるのもひとつの手ですね)。

その一例として弊社のデザイナーのブログが参考になるかな、と思うので貼っておきます。

tech.connehito.com

事実と解釈を分ける

分報は良くも悪くも他人を気にしなくてよい空間です。そういった空間では感情をそのまま文字にして吐き出すため、特に言葉の表現が乱暴になったり配慮がかけたものになりがちです。私も心に余裕がないとレガシーなコードを見て「なんでこんな設計になってんだよ〜」と怒ったり「責務が意識されてないコードでつらい.....」とつぶやいてしまったりします。。

この問題については「日頃から分報やチャット、GitHubなどテキストベースのコミュニケーションにおいて表現に気をつけよう」という一言で済ますこともできますが、もう1点意識できることがあります。それは「事実と解釈を分ける」ということです。

例えばあるコードを見て「なんでこんな設計になってんだよ〜」と怒ってる人(Aさんと呼びましょう)がいて、その設計に自分が関わっていた場合で考えてみましょう。 まず、Aさんがそう発言したのは「事実」です。しかしその「解釈」は人によって様々でしょう。
「なんか怒ってるけど気にしない!」という人もいれば「自分の設計力のなさに怒ってるのかも...怖い...」と不安がる人もいます。また「何かイライラしたことでもあったのかな」と心配する人や「Aさんは設計に誰よりも詳しいから怒ってるわけじゃなくてより美しい設計を求めてるんだろうな」と考える人もいるでしょう。

ここで私が言いたいのは「コントロールできる『解釈』をうまく使うことでいたづらに自分のこころを傷つけないようにしよう」ということです。 意図が伝わりづらいテキストベースのコミュニケーションにおいて、このHOWは身につけておいて損はないと思います。

分報を使っているかではなく、心理的に安全か

心理的安全性を担保するためのHOWの1つとして「分報を導入する」という企業が増えてきましたが、もし導入する場合はProblemであげたような課題に対して改善のTRYを入れていく必要があります。

ここで気をつけたいのが「分報が必須であることを前提に文化や組織を作らないこと」です。そうしないと「分報を使っていない人がいて困る」や「分報がアーカイブされてDMの代わりの場がなくなって困る」といった誤った課題に翻弄されることになります。分報は無くなっても困らない、あくまで福利厚生の1つのような位置づけにするのがいいのかな、と思っています。

最後に、実は弊社のスクラムチームの中で、個人的に一番うまくいってるな〜と思っているチームは、メンバーの多くが分報をアーカイブしています。分報がなくても口頭でのコミュニケーションやスクラムでの自己組織化の仕組みがうまく回っているので心理的安全性が担保されているんだろうな、と外から見ていて感じています。

分報を使っているかどうかではなく、心理的に安全かどうかで判断していきたいですね。